“さとこ”桜井ユキが選んだ生き方とは 『しあわせは食べて寝て待て』が描く“良質な普通”

2025/04/15 23:30

『しあわせは食べて寝て待て』写真提供=NHK「粥有十利(しゅうゆうじり)……お粥には十の功徳があること」  お粥はお米を水で炊き、塩で味付けしただけのシンプルな料理だ。けれど、胃腸を整えて元気を補ってくれる。『しあわせは食べて寝て待て』(NHK総合)第3話は、そういう“良質な普通”を持ちたいと思わされた回だった。  
『しあわせは食べて寝て待て』写真提供=NHK

「粥有十利(しゅうゆうじり)……お粥には十の功徳があること」

 お粥はお米を水で炊き、塩で味付けしただけのシンプルな料理だ。けれど、胃腸を整えて元気を補ってくれる。『しあわせは食べて寝て待て』(NHK総合)第3話は、そういう“良質な普通”を持ちたいと思わされた回だった。

 鈴(加賀まりこ)と司(宮沢氷魚)に影響を受け、自分のペースで薬膳を生活に取り入れ始めたさとこ(桜井ユキ)。梅雨に漬けた梅のシロップが出来上がった頃、元同僚の小川(前田亜季)から誘いが来る。

 かつて、さとこは不動産会社でバリバリ働いていたが、病気がきっかけで後輩から嫌がらせを受けるようになり、一層の心身不調で退職を余儀なくされた。さとこのアドバイスで団地の空き部屋に借り手がついたことからも、きっと優秀で退職を惜しまれるような社員だったのだろう。辞めた理由がハラスメントなら、さとこの復職が認められる可能性もあると小川は考えていた。

 週4日のパートと、団地でのゆるやかなご近所付き合いに薬膳。それらで成り立っている今の生活は平穏だけど、いわば普通だ。さとこの母・惠子(朝加真由美)のように、「つまらない」と思う人もいるだろう。少なくとも、これまでのスキルや経験が生かせているとは言い難い。なおかつ、家賃を下げてもなお家計は苦しく、やりがいと収入アップを望めるまたとない機会にさとこの心は揺れる。

 そんな中、さとこはパート先であるデザイン事務所の社員旅行に参加。社長の唐(福士誠治)が行き先を温泉に決めたのには、少なくとも2つの理由がある。1つは、クライアントから何度もデザインのリテイクを食らっている部下のマシコ(中山雄斗)に気づきを与えるため。

 猛暑が続く中での温泉旅行は当初、社員から不評だった。けれど、夏バテやエアコンによる冷えで疲れた身体には案外温泉が沁みる。その中でもさとこたちが浸かった湯は素朴だけど、さまざまな効能があり、合理的な性格の唐が週末にわざわざそのためだけに訪れる価値のあるものだった。唐は攻めたデザインにこだわるあまり迷走しているマシコに、この旅で「良質な普通に勝るものはない」と伝えたかったのだ。

 もう1つは、さとこの体調を鑑みてのことだろう。さとこの元上司とバンド仲間だった繋がりから、彼女をパートとして迎え入れた唐。膠原病を患うさとこに決して無理はさせず、かつ疎外感を与えないように心がけている。でも、それは単なる同情ではない。さとこの生き方が、他の社員にも良い影響を与えてくれると思っていたからだった。

 デザイナーはクリエイティブで華やかな仕事と思われがちだが、実は地味で地道な作業の繰り返しだ。時には自分のこだわりを捨てて、クライアントの要望に応える必要があるし、残業してでも締め切りに間に合わせなければならない。ひたすら他人のためであり、自分のことがつい後回しになってしまう。

「だから、麦巻(さとこ)さんが仕事の量とか体調とか、自分でしっかり調節しているの見ると、ハッとするんだよねぇ」

 そんな思いもよらぬ唐の言葉で目頭を熱くさせるさとこの表情にグッときた。さとこは今の生き方を好んで選んだわけではない。週4日しか働いていないのは無理をすると体が悲鳴を上げるからで、過去の行いを謝罪したいという後輩の申し出を突っぱねたのはプライドからではなく、自分を辛い目に遭わせた人に優しくするだけの余裕がもうないため。だけど、それこそ多くの人が望みながらも、なかなか手に入らない生き方なのではないだろうか。何かに追い立てられるかのように働き、自分を傷つけてくる人にまで気を遣って、さとこの元上司のようにある日突然パタッと亡くなる人もいる。

 結果論に過ぎないけれど、さとこは病気にその未来から救ってもらった。今の生活は、“良質な普通”そのものだ。お粥のように地味で素朴だけど、あたたかい人たちと美味しい薬膳に囲まれた心身ともに安らかな日々。それを今まで、さとこは「これでいい」と妥協的に受け入れていたのかもしれない。しかし、唐の言葉で「これがいい」と思えたさとこは前の会社に戻らないことを決め、小川に薬膳のアドバイスを添えた感謝の手紙を送る。

 今回も何かが大きく動き出したわけではなく、あくまでも現状維持。胸がキュンとするような恋も、考察しがいのある事件も、主人公であるさとこの身には降りかかってこない。けれど、素材(=俳優)の良さが際立っていて、シンプルでいて精巧なストーリーと演出に心が動かされる。そんな本作もまた、粥有十利なドラマだ。これでいい、これがいい。

 何かと奇をてらったものを求められがちな社会だけど、普通を大事にしようと思えた。一方で、その“普通”を今は手に入れにくい世の中なのかもしれない。現実世界でも人々を苦しめる米不足と価格の高騰にさとこが打撃を受ける場面もあった。米が手に入らなければ、お粥も作れない。そんな現実の厳しさに、さとこはどう立ち向かっていくのだろうか。
(文=苫とり子)