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「実の親子のように過ごしていたのに」ステップファミリーの母親が後悔…遺族年金受給で気付いた養子縁組の必要性

2025/04/16 20:15

<前編のあらすじ> 個人事業主として働くシングルマザーの由佳さん(仮名・38歳)は、双子の息子・海斗さん(10歳)と翔真さん(10歳)を育てながら、取引先企業に勤める浩太さん(48歳)と出会いました。浩太さんには別居している娘・未祐さん(24歳)がいましたが、家族全員が互いを受け入れ、再婚を決意します。 新生活では

<前編のあらすじ>

個人事業主として働くシングルマザーの由佳さん(仮名・38歳)は、双子の息子・海斗さん(10歳)と翔真さん(10歳)を育てながら、取引先企業に勤める浩太さん(48歳)と出会いました。浩太さんには別居している娘・未祐さん(24歳)がいましたが、家族全員が互いを受け入れ、再婚を決意します。

新生活では、海斗さんと翔真さんも浩太さんを実の父親のように慕い、浩太さんも「息子もできてにぎやかで楽しくなった」と幸せな日々を過ごしていました。しかし、その幸せな暮らしは浩太さんの突然の逝去により一変します。

遺族年金の手続きに訪れた年金事務所で、由佳さんは息子たちと浩太さんの養子縁組がなかったことで受給額に大きな違いが出ることを知り、困惑するのでした。

●前編:【知らなかった…子連れ再婚後に夫を亡くした30代女性、遺族年金額を増やすために“しておくべきだった手続き”とは?】

「実の親子のように過ごした」だけでは対象にならない遺族基礎年金

浩太さんは生前30年間、会社員をしていました。会社員だった人が亡くなった場合に支給される遺族年金には遺族基礎年金と遺族厚生年金があります。

遺族基礎年金は亡くなった人の①配偶者と②子が対象です。②の子とは、18歳年度末までの子、つまり高校生までの子、あるいは一定の障害がある場合の20歳未満の子を指します。一方、①の配偶者は、②の子と生計を同じくしている「子のある配偶者」であることが条件です。

ここでの配偶者と子は、配偶者と子は亡くなった人から見た、亡くなった当時の配偶者や子を指しています。浩太さんが亡くなった当時、浩太さんの配偶者はもちろん由佳さんです。

そして、子については実子または養子を指します。まず、浩太さんと前妻との子である未祐さんは実子ですが、既に24歳になっていますので、そもそも遺族基礎年金の対象となる子ではありません。一方、由佳さんの前夫との子である海斗さん、翔真さんについては、浩太さんとは養子縁組はしていません。由佳さんは「でも、実の親子のように過ごしていたのに……」と思いましたが、由佳さんから見ての実子であっても、亡くなった浩太さんの子ではないことから、由佳さんは「子のある配偶者」ではありません。

そのため、誰にも遺族基礎年金は支給されないことになります。

配偶者がいれば受給できる遺族厚生年金

これに対し、遺族厚生年金の対象となる遺族ですが、遺族基礎年金と同様に配偶者、子が含まれ、他に父母、孫、祖父母も対象になります。ただし、遺族基礎年金と異なって、遺族厚生年金は亡くなった人の子がいることは前提条件ではありません。したがって、配偶者・由佳さんがいることにより、由佳さんに遺族厚生年金が支給されることになります。浩太さんの会社員としての厚生年金加入記録から計算され、年間80万円ほど支給されることになりました。

もし、生前に養子縁組をしていた場合は、由佳さんに遺族基礎年金も年間130万円(子2人分の加算ありの額)くらい支給されていました。つまり、遺族基礎年金と遺族厚生年金、両方を受け取ることができたところでした。

このように養子縁組がなかったことで遺族年金はかなり少なくなってしまいました。由佳さんは「そっか……養子縁組の話は全然していなかったな」と遺族基礎年金の分は諦め、その分はこれから頑張って働いて稼ぐことになりました。

死別、離婚することもあれば、再婚することもあります。人生での大きな出来事とも言えますが、年金の受給にも影響を与えることがありますので、こうした出来事があった場合はその機会にライフプランやお金のことについてじっくり考えてみるとよいのではないでしょうか。

※プライバシー保護のため、内容を一部脚色しています。

五十嵐 義典/ファイナンシャルプランナー

よこはまライフプランニング代表取締役、1級ファイナンシャル・プランニング技能士、CFP®認定者、特定社会保険労務士、日本年金学会会員、服部年金企画講師。専門分野は公的年金で、これまで5500件を超える年金相談業務を経験。また、年金事務担当者・社労士・FP向けの教育研修や、ウェブメディア・専門誌での記事執筆を行い、新聞、雑誌への取材協力も多数ある。横浜市を中心に首都圏で活動中。※2024年7月までは井内義典(いのうち よしのり)名義で活動。