ひきこもりが長期化すると、お子さんに心配な症状が出てくることもあります。そのような時は早めの受診と治療が望ましいのですが、お子さんが受診を拒否してしまい、医療につながらないケースも見受けられます。適切な治療を受けない期間が長く続いてしまうと、症状がより悪化してしまうこともあるようです。
「何もできなかった」母親の後悔
山岸友恵さん(仮名・35歳)は20代の頃に統合失調症を発症。現在も治療を続けていますが、症状が改善する気配はなく、就労も厳しい状態にあるそうです。収入の見通しが立っていないことに不安を覚えた友恵さんの母親(66歳)は、障害年金の検討をするため筆者のもとを訪れました。
「長女の病状がかなり悪化するまで、私は何もできませんでした……。せめて今からできることをしておきたいと思うのです」
そのように話す母親から筆者は事情を伺うことにしました。
中学の不登校からひきこもり生活開始、支援の手を振り払い続ける
友恵さんは中学生2年生の頃、親友と仲違いをしたことをきっかけに不登校になってしまいました。不登校が長引き、学業から遠ざかってしまった友恵さんは高校に進学することはなく、そのままひきこもりの生活を送るようになりました。
当時、父親は仕事で忙しく「いつまでこんな生活を続けるつもりなんだ」と苦言を呈することはあっても、友恵さんのケアをすることは一切ありませんでした。
心配した母親は、友恵さんに通信制の高校に進学するよう促しましたが、かたくなに拒否されてしまったそうです。また、母親と一緒に心療内科や精神科に行くことを提案してみましたがそれも拒否。次第に母子の会話も減っていき、何も進展がないまま月日は流れていきました。
友恵さんが20代になっても、ひきこもりの状態に変化はありませんでした。
「何か解決の糸口が欲しい」
母親は藁にもすがる思いで、ひきこもり訪問支援の相談をすることにしました。
ただし、訪問支援を受けるためには友恵さん本人の同意が必要になります。
母親が訪問支援の話を友恵さんに伝えたところ、友恵さんからは何の反応もなく、反対もされませんでした。明確な反対はなかったため、母親は支援者に訪問支援をしてもらうようお願いをしました。
しばらくした後、支援者が自宅にやってきました。しかし友恵さんは自室にこもったまま顔を見せようとしません。
支援者はドア越しに「友恵さんの将来について話し合いたい」と伝えてみました。
すると友恵さんは「あなたとは会いたくありません。帰ってください」と言うだけで、やはり部屋から出てこようとはしませんでした。
友恵さんに会えなかった支援者は本人に向けて手紙を書きましたが、友恵さんは手紙を読むことはしなかったそうです。
その後、数回にわたり支援者は自宅を訪問してくれましたが、友恵さんと会うことはできませんでした。
「何の進展もなく、このままでは支援者に迷惑をかけてしまうだけだ」
あまりの申し訳なさから、母親は訪問支援を断ってしまいました。
不安と恐怖の日々で現れた“ある異変”
訪問支援がなくなり、友恵さんにいつもの日常が戻ってきたある日のこと。友恵さんに気になる言動が現れ始めました。
友恵さんは「監視されているかもしれない」「盗聴されているかもしれない」と言い出したのです。時には監視カメラや盗聴器を探すため、家具を動かしてその裏側を確認することもありました。
「外から監視されているかもしれない」と言って、両親にカーテンや窓を開けないよう強要してくることもありました。
時を同じくして、幻聴も始まるようになりました。
「2階の窓から飛び降りろ」「川に飛び込んで溺れてしまえ」といった自傷を促すようなものが多かったそうです。
心配した母親は、友恵さんに病院に行くよう促しました。
しかし友恵さんは「なんでそんなことを言うの? 私はおかしくない! 病院なんか行かない!」と言って受診を拒否。
無理に受診させるわけにもいかず、母親はどうしたらよいのか分からなくなってしまいました。そのような悶々とした気持ちを抱えたまま、さらに月日は流れていきました。
真冬の夜の緊急事態
友恵さんに気になる言動が現れてから10年がたった頃。友恵さんは33歳になっていました。
そんなある日の深夜。突然友恵さんの叫び声が家の中に響き渡りました。
驚いた両親は飛び起き、友恵さんの部屋へ駆け込みました。
「部屋の中に誰かがいる!」
友恵さんの目は見開かれ、恐怖に怯えています。
母親は「何もいないよ。落ち着いて。大丈夫だから」と言いましたが、その声は友恵さんには届きません。
母親は必死に落ち着かせようとしましたが、友恵さんの混乱は収まりません。仕方なく父親が警察に通報をしました。
自宅に警察官が現れると、友恵さんは「私を捕まえにきた!」と勘違いをしてしまったようで、裸足のまま外に飛び出しました。
「ちょっと待ちなさい!」。声を上げる警察官の制止を振り切り、友恵さんは暗い夜道を一心不乱に走っていきます。
しかし、長年のひきこもり生活で体力がない友恵さんは、すぐに肩で息をしながらよろよろと歩き出しました。そのすぐ後ろから警察官が迫ってきます。
パニックになった友恵さんはさらに逃げようとし、寒空のもと川に飛び込んでしまいました。
その後、警察官に保護された友恵さんは医療保護入院をすることになりました。
入院先の病院で友恵さんは統合失調症の診断を受け、治療を開始することになりました。そして1カ月後に退院。自宅に戻った友恵さんは幾分か落ち着きを取り戻していました。
しかし、とても社会復帰ができるような状態ではなく、就労も困難なので収入の見通しもまったく立っていません。
●果たして友恵さんは無収入状態を抜け出せるのか……。親子がたどったその後の結末は、後編【「早く受診させていればよかった」33歳ひきこもりの娘を持つ母の後悔…無収入状態を脱するまでの苦労の道のり】で詳説します。
※プライバシー保護のため、内容を一部脚色しています。
浜田 裕也/社会保険労務士・ファイナンシャルプランナー
親族がひきこもり経験者であったことから、ひきこもり支援にも携わるようになる。ファイナンシャルプランナーとして生活設計を立てるだけでなく、社会保険労務士として利用できる社会保障制度のアドバイスも行っている。ひきこもりのお子さんに限らず、障害をお持ちのお子さん、ニートやフリーターのお子さんをもつ家庭の生活設計の相談も受けている。『働けない子どものお金を考える会』のメンバーでもある。