「こんなの…取ってあったんだ」疎遠だった父と実家で酒を酌み交わし娘が知った「父の日の真実」

2025/05/20 21:00

<前編のあらすじ> 惟子はスーパーからかかってきた電話に動揺を隠せないでいた。スーパーの店長を名乗る電話口の男が言うには父が万引きをしたのだという。しかも、一度や二度のことではないとも。スーパーの店長は惟子が父を迎えに来なければ、警察に通報することまで匂わせていた。 厳格だった父がなぜ……。 父を実家に連れ帰った

<前編のあらすじ>

惟子はスーパーからかかってきた電話に動揺を隠せないでいた。スーパーの店長を名乗る電話口の男が言うには父が万引きをしたのだという。しかも、一度や二度のことではないとも。スーパーの店長は惟子が父を迎えに来なければ、警察に通報することまで匂わせていた。

厳格だった父がなぜ……。

父を実家に連れ帰った惟子は、退職後、母を亡くし、一人で暮らす中で父がいかにして追いつめられていったのかを知るのだった。

前編:父の日のプレゼントを受け取り拒否するほど厳格だった父がまさかの万引き…老父を追い詰めたものの正体とは

父と連絡を取っていなかったせいなのか

翌朝、惟子は何事もなかったかのように出勤した。いつも通り仕事をこなしていたが、ふとした拍子に昨日の父のことを思い出してしまう。

父は痩せ細って、まるで別人のようになっていた。頑固で、理屈っぽくて、他人の感情なんておかまいなしだった父の、あんなに寂しい独白を聞くことになるなんて思いもしなかった。

「今まで放っておいたツケがまわってきたのかな」

独りごとのように呟きながら、惟子はキーボードを打つ手を止めた。

母が亡くなってからというもの、父とはほとんど連絡をとっていなかった。父から帰ってこいと言われたことはなかったし、会わなくても何も困らなかった。それなのに今さら、こんな形で父と向き合うことになるとは、想像もしていなかった。

集中できないまま仕事を終え、帰宅した部屋は変わらず静かだった。洗濯機の音、湯が沸く音、テレビの向こうから流れてくるニュースの声。全部が、どこか遠くに感じられた。

父が捨られなかったもの

週末になると、惟子は車で地元に向かった。さすがにあのスーパーに顔を出す勇気はなく、少し遠回りすることになりながら、いくつかの食品と日用品を買い揃えた。再び実家のドアを開けると、父はリビングのソファに座ったまま、ただぼんやりと窓の外を眺めていた。

「来たのか」

それだけ言って、また視線を戻す。

「うん。片付けしようと思って」

「そんなことしなくていい」

「そう言うと思った。でも、するよ」

惟子は台所へ入り、袋から食品を出して冷蔵庫にしまい、シンクに溜まった食器を洗った。

一段落すると、今度はリビングを片付け始めた。床に散らかったチラシ、空き缶、空になった薬の包装。ゴミをまとめ終わると、引っ張り出した掃除機を手にあちこち歩き回った。

父は何も言わず、ただ時折、惟子に視線を送った。

「……お前、忙しいのに、こんなことしに来たのか」

「そうだよ。私がやらなきゃ、誰がやるの」

惟子は父の返事を待たず、廊下を抜けて奥の和室へ向かった。リビングほどは散らかっていないが、埃だらけなのは変わりない。開けっ放しの襖から、段ボールが飛び出ている。

「あれ、これって……」

のぞき込んだ箱の中に入っていたのは、古いアルバム。畳の上に座り込み、ページをめくると、そこには若い父と母、そしてまだ幼い惟子が写っていた。母の笑顔が眩しい。父はカメラを前に少し照れたような顔をしていた。

「惟子7歳・遠足の朝」

写真の横には、少し癖のある母の字で書かれたメモが貼り付けてある。

「こんなの……取ってあったんだ」

懐かしくてつい夢中でページをめくりながら、惟子はふと気がついた。

荒れ果てた家の中で、この箱だけが埃を被っていないことに。

「お父さん……」

きっと、父はアルバムを眺めていたのだ。誰もいないこの家で、たった1人。

ひょっとすると父はそれを後悔していたのではないか。口には出さなくても、手放せなかった思い出が、この箱の中に静かに眠っていた。

「……お父さんも捨てられなかったんだね」

窓の外から、柔らかい陽が差し込んでいた。

父と酒を酌み交わし

掃除を終えると、あのかびっぽい嫌な空気は消えていた。畳の匂いと、微かに残る古い木の香りが混じり合って、どこか懐かしい気配を漂わせていた。

惟子はキッチンで簡単なつまみを用意すると、テーブルに置いていた手提げ袋から、酒瓶を取り出した。ラベルには「大吟醸」の文字。昔、父が飲んでいた銘柄を思い出して、それよりも少し上等なものを買ってきていた。

「お父さん、一緒に飲もう」

声をかけると、ソファに座っていた父が、目を丸くしてこっちを見る。

「おまえが酒を……?」

「うん、せっかくだからね」

惟子は瓶の蓋を開け、小ぶりなグラスをふたつ、テーブルの上に並べた。

父は不思議そうに首を傾げたまま動かない。惟子はにやりと笑って、壁のカレンダーを指さす。

「今日が何の日か、わからない?」

父の目がカレンダーを追い、そして、はっと息を呑んだ。

「……父の日か」

「そう、正解」

惟子はグラスに酒を注いだ。薄く琥珀がかった液体が音を立てて満たされていく。父は無言のまま、グラスを手に取った。

「乾杯」

惟子はそう言って、父にグラスを差し出した。彼も少し遅れて、静かにそれに応じた。

口に含んだ酒は、想像よりもずっとまろやかで、喉の奥でほのかな甘みを残した。

惟子は少し目を細めながら、それを味わった。

「……こうして飲むのは、初めてだな」

父がぽつりと言った。

「うん、初めてだね」

惟子はうなずき、視線をテレビ台の上へ向けた。

そこには、結婚当初の父と母の写真が立ててある。母が写っている写真のなかで、惟子がいちばん好きな1枚だった。惟子がちらっと見ると、父はグラスを口に運びながら、どこか遠い目をしていた。

「お母さん、びっくりしてるんじゃない? 私たちが2人でお酒を飲むなんて」

「ああ、そうだろうな。俺だって驚いてる」

沈黙が流れた。

だが、それはどこか心地よいものだった。温かい感情が、ゆっくりと惟子たちの間に溶けていく。

唐突に父が口を開いた。

「おまえ、昔も父の日に小遣いでプレゼントくれたっけな。あのときは怒鳴っちまって……悪かったな」

「お父さん、覚えてたの?」

「覚えてるさ。あれから、あのタイピンを見るたびに思い出してた」

「何言ってるの、お父さん怒って受け取ってくれなかったじゃない」

「いや……定年するまで使ってた」

「え、うそ……」

惟子は驚いた。あのタイピンは返品されたか、捨てられたと思い込んでいたのだ。

「本当だ。母さんが取っておいたのをこっそりつけて会社に行ってた」

「そう……だったんだ。全然知らなかった」

照れくさそうな父の顔を見て、惟子は思わず口元が緩んだ。

「来年も美味しいお酒買ってくるから、ちゃんと元気でいてよね」

「……ああ」

父は深くうなずいたあと、写真の中の母を再び見つめた。

※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

Finasee マネーの人間ドラマ編集班

「一億総資産形成時代、選択肢の多い老後を皆様に」をミッションに掲げるwebメディア。40~50代の資産形成層を主なターゲットとし、多様化し、深化する資産形成・管理ニーズに合わせた記事を制作・編集している。