『しあわせは食べて寝て待て』“司”宮沢氷魚が団地を旅立つ 直面する“介護”という問題

2025/05/20 23:30

『しあわせは食べて寝て待て』写真提供=NHK 他人同士だから。その寂しさと温かさが胸に迫った『しあわせは食べて寝て待て』(NHK総合)第8話。司(宮沢氷魚)が団地を旅立っていく。  鈴(加賀まりこ)から今の部屋を将来譲り受けることになったさとこ(桜井ユキ)。その矢先、鈴の娘・透子(池津祥子)が遠方から大慌てで団地にや
『しあわせは食べて寝て待て』写真提供=NHK

 他人同士だから。その寂しさと温かさが胸に迫った『しあわせは食べて寝て待て』(NHK総合)第8話。司(宮沢氷魚)が団地を旅立っていく。

 鈴(加賀まりこ)から今の部屋を将来譲り受けることになったさとこ(桜井ユキ)。その矢先、鈴の娘・透子(池津祥子)が遠方から大慌てで団地にやってくる。資産価値がないと思っていた部屋が建て替えで新築になるかもしれないと聞き、手放すのが惜しくなったのだ。ところが、管理組合の理事長の話から工事費用の高騰や諸事情により建て替えになった場合は膨大な追加費用がかかると知る。もし払えなければ、団地を出ていくしかなかった。

 結果的に譲渡が成立する一方で、ようやく終の住処が見つかったと思っていたさとこは少しだけ落胆するが、唐(福士誠治)の「団地の価値を高める」という言葉ですぐに気持ちを立て直す。何らかの工夫で建て替えなしでも永く快適に住み続けることができるかもしれない。

 膠原病を発症し、頑張りたくても頑張れなくなってしまったさとこは移住という選択肢に出会った時、まだ自分にも挑戦できることがあると分かって嬉しかったのだと思う。だから、余計に移住を断念しなければならないのがやるせなかったのだろう。

 でも、「諦める」の語源は「明らむ」。つまり「諦める」とは何かを断念することではなく、事実を明らかに見ることである。さとこは自分には移住が難しいという事実が分かった。そしておそらく、団地暮らしが自分に合っていることも。では、どうすれば今の場所に住み続けることができるか。そう考えた時に、また新しい可能性が拓けた。

 そんなふうに“できない自分”を受け入れ始めたさとこを、受け入れられないのが母親である惠子(朝加真由美)だ。膠原病の中でもさとこが発症したシェーグレン症候群は難病に指定されており、現時点では根治的な治療法が確立されていない。けれど、惠子は治ると信じて止まず、さとこが納得して諦めたことに対して希望を持たせてくる。

 さとこにとっては「食べられないご馳走をわざわざ目の前に並べられてる」ようなものだが、そこには惠子なりの葛藤もあった。惠子が忘れたスマホをこっそり実家に届けたさとこ。メモに書いてあった「ごめん」の文字を見た瞬間、惠子が涙交じりの声で「丈夫に産んであげられなくて……」とこぼす。シェーグレン症候群の根本的な原因はまだ解明されていない。それでも子供が病気になってしまった時、真っ先に自分を責めてしまうのが親というものなのだろう。

 きっと惠子はやりがいを持って働き、自分の稼いだお金でマンションを購入することも夢見ていたさとこを誇りに思っていたに違いない。それを「諦めさせてしまった」ことが申し訳なくて、苦しくて、許されたくて、今もさとこに期待をかけてしまうのではないだろうか。さとこはさとこで、その期待に応えられないことが苦しかった。

 だから、どうしたって一緒にいると傷つけ合ってしまう。惠子が“ウズラさん”こと志穂美(宮崎美子)のような気ままな一人暮らしよりも息子夫婦との同居を選んだのも、体の自由がきかなくなった時、さとこに迷惑をかけないためかもしれない。

 鈴と透子が離れて暮らしているのも同じような理由なのだろう。さとこや司(宮沢氷魚)といる時は天真らんまんでチャーミングな鈴も、透子とはついお互いに棘のある言葉をかけてしまう。親子だから分かり合えるなんてのは幻想で、むしろ親子だからこそ自分の気持ちを押し付けてしまい、すれ違ってしまうことも多く、物理的な距離がある方が案外うまくいくことも多い。

 ただ、介護をどうするかという問題もある。透子は鈴に老人ホームへの入居を勧めるが、鈴は生まれ育った団地で余生を過ごしたいと願っていた。そこで、司に「ここで母の面倒を見てほしいの」と封筒に包まれた大金を渡す透子。そのお金があれば、司は働かなくても済み、鈴とも一緒に暮らしていける。でも、司は鈴との暮らしを”義務”にしたくはなかったのだろう。透子の申し出を断った司だが、元気に見えても鈴は90歳。誰かの助けを借りることもこれから増えてくる。無償ならばいいという問題でもないだろう。司はもちろん、鈴にとってもそれは気持ちの上で苦しみが伴う。だから、今がそのタイミングだった。

 さとこは部屋の取り決め成立を祝って司と鈴と食事をする。司が何か言ったわけではないが、これが3人での最後の晩餐になることを誰もがわかっていた。いつもと同じ場所、普段と変わらないご飯に、安心感のあるやりとり。このドラマで何度も見てきた光景なのに胸がぎゅっと締め付けられるのは、3人の言葉にならない寂しさが充満しているからだ。でも、さとこも鈴も司を引き止めようとはしなかった。引き止める理由がなかった。しょせん他人同士だから、お互いを縛ることはできない。そう言うと冷たく聞こえるかもしれないが、他人同士だからこその良さもまたある。自分を労わりながら誰かを労わる、ちょうどいい“塩梅”の距離感にさとこもまた救われてきた。他人同士は寂しくて温かい。その良さが詰まった団地暮らしをさとこはどのように守っていくのだろうか。
(文=苫とり子)