
ぶどう酒を入れたグラスをクルクルと回す。グラスの中でぶどう酒が空気に触れて酸化し、味わいや香りが変化するのだという。一見するとなんの影響もなさそうな小さな揺らぎ。だが、実際には着実に状態は変わっている。その様子は、まるで蔦重(横浜流星)や田沼意次(渡辺謙)を取り巻く環境が、じわじわと変化しているのを暗示しているようだった。
NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』第20回「寝惚けて候」。タイトルにある「寝惚け」とは、寝惚先生こと大田南畝(桐谷健太)のこと。南畝は、田沼時代に狂歌ブームの火付け役となった狂歌師だ。幼い頃から頭脳明晰で、15歳で江戸六歌仙に数えられた内山賀邸に入門。1767年、19歳になるとそれまで書き留めていた狂詩が兄弟子・平秩東作(木村了)に見出され『寝惚先生文集』として刊行されるやいなや大ヒット。そのときの序文を手掛けていたのが平賀源内(安田顕)だったというから、蔦重との相性の良さを予感させる。
現代でいうベストセラー作家のような人気者の南畝が、青本の番付を発表した冊子『菊寿草』で、蔦重がプロデュースした朋誠堂喜三二(尾美としのり)の最新作『見徳一炊夢』を「極上上吉」と評価したから耕書堂への風向きが一気に変わっていく。地本問屋の岩戸屋(中井和哉)が『見徳一炊夢』を仕入れたいと交渉に来たのだ。鶴屋(風間俊介)や西村屋(西村まさ彦)から蔦重の本を仕入れることを禁じられているにもかかわらず、だ。その理由を聞くと「今年1番の青本」と称された本ならば鶴屋たちへの言い訳が立つと語るのだった。
この「言い訳」が、第20回の裏テーマだったように思う。私たちは、知らず知らずのうちに言葉の力で動かされている。例えば、歌麿(染谷将太)に蔦重が「俺は死んで償いたいのに、こいつに無理やり生かされてるんだって言い訳ぐらいにはなれる」と言っていたように、ときには人の生き死にさえも左右するほど。それくらい人は動くための「言い訳」、つまり正当な理由をいつも探しているのだと感じた。
そこに目を付けた蔦重は、市中の本屋に本を仕入れさせるべく「言い訳」を作っていく。まずは、歌麿の画力をもって、西村屋の入銀本『雛形若菜初模様』とそっくりな『雛形若葉初模様』を、ずっと安価に仕上げて見せるという営業をかけていく。その動きに西村屋が気を取られることで、鱗形屋(片岡愛之助)から譲り受けた『吉原細見』の改がずさんになることを見越して⋯⋯。
結局、蔦重の罠にハマった形で西村屋は『雛形若菜』も『吉原細見』も出せない事態に。そう、これで「西村屋の細見が売れないとなれば、蔦重の細見を仕入れるしかないじゃないか」と本屋たちが「言い訳」が立つという算段。「ずいぶん汚い真似してくれるじゃないか」と西村屋に言われた蔦重が「本当、ありがとうございます。汚ねえやり方もアリだって教えてくれたのは、西村屋さんですから」と言ったのも、蔦重なりの「言い訳」。あっちが先に汚い手を使ったのだから、こっちだってとなるのは当然だと。
「言い訳」が立つと、人は強く出られる。そして「言い訳」とは、状況に応じて「信念」とも「夢」ともなりうるものだと考えさせられた。今回、蔦重は自分なりの「言い訳」を胸に、多少汚いやり方にも手を染めつつ突き進んでいった。その姿は、老中という権力者まで成り上がった意次と近いものを感じる。しかし、そんな意次も今度は「言い訳」を突きつけられる側に立たされていた。
10代将軍・家治(眞島秀和)の養子問題で揺れる江戸城で、一橋治済(生田斗真)が浄岸院の名前を「言い訳」に強気な交渉に出てきたのだ。浄岸院とは公家出身で第8代将軍・徳川吉宗の養女。そして、5代薩摩藩主・島津継豊の継室となった女性のこと。今回、治済の長男・豊千代が家治の養子入りするにあたり、かねてより島津家の茂姫を正室にするという縁組が決まっているのだと言い出す。すでに家治のもとには、家基(奥智哉)の正室候補として田安家から種姫を迎えていたため、そのまま豊千代の正室に種姫をと考えられていたが、それは浄岸院の遺言であるため受け入れかねる、と。
頭を悩ませた意次は結果として、治済の策略だとわかっていながら、そのとおりに動くことを選択した。それが意次自身の意思であるかのように吹聴され、種姫サイドに恨みを買うことになってしまったのは苦々しいところ。しかし、それでも、家治の「知恵、考えを譲らない」という思い、「後の世に残る仕事を成す」ためだという「言い訳」を胸に意次は突き進んでいく。しかし、どこか不安が拭えない。それは静かに、そして着実に治済のペースに飲み込まれいるのを感じながらも、治済に対して強く出る「言い訳」を依然として見つけられていないからかもしれない。
そうして少々勢いの衰えを予感させる意次に対して、伸び盛りの蔦重は南畝に招かれて狂歌の世界へと足を伸ばす。初めて覗いた狂歌の会は、思っていたよりもちゃんとした歌会の雰囲気。「そもそも狂歌と和歌って何が違うの?」なんて、大きな声では聞けない空気が漂う。その場を仕切っていたのは、智恵内子(水樹奈々)と夫婦で狂歌界を牽引していた元木網(ジェームス小野田)。かしこまった様子のまま始まった会だが、お題は「うなぎに寄する恋」と思わず首をかしげてしまうもので、朱楽菅江(浜中文一)が詠んだ歌も〈わが恋は 鰻の見えぬ桶のうちの ぬらぬらふらふら 乾く間もなし〉と、やはりどこかおかしい。
判者となった南畝が「“ふらふら”ではなく“ムラムラ”としてはいかがか? 鰻はやはりムラムラありたい」なんて大真面目に指南するものだから、蔦重も思わず笑いをこらえる。さながら、笑うのを我慢するバラエティ番組でも観ているかのような気分になるのは、江戸も今もそんなに感覚は変わっていないのかもしれない。
一方で、南畝が詠んだ狂歌〈あなうなぎ いづくの山のいもとせを さかれて後に 身を焦がすとは〉には、「鰻」と「あな憂(ああつらい)」の掛詞に、「山のいも」に「山芋」を滲ませて「山芋が鰻に化ける(物事が突然に思いもよらないような変化をする)」という例え話の隠語。そして「いもとせ(妹と背※親しい男女の関係の意味)と「背を裂かれている」鰻が、「恋に」「焼かれて」それぞれ「身を焦がす」と、これでもかと技巧が凝らされているから感心する。
和歌と違って親しみやすく、庶民でも楽しめるが、知識があるほどその面白さが増す。そんな狂歌にすっかり魅了された蔦重は、「あれは流行る。俺が流行らせるぞー!」と大興奮。朝方まで飲まされ、ベロベロに酔いつぶれた蔦重は、迎えた歌麿を抱えて眠りこける。新たな仲間との出会いに心を弾ませ、もしかしたら狂歌本で日本中を熱狂させる夢を見たに違いない。日本一の本屋になるという「言い訳」のもとに仲間を増やしていく蔦重と、治済の「言い訳」に絡め取られていく意次。そんな2人の変わりゆく周囲から目が離せない。
(文=佐藤結衣)