<前編のあらすじ>
34歳になる桃花は、ごくごく普通の女性だった。しかし、友人の結婚式で出会った経営者の宗弘と知り合ったことがきっかけで、全く別の世界に足を踏み入れることになる。
宗弘と結婚した桃花を待っていたのは、高級マンションでの何不自由のない暮らしだった。
はたから見れば幸せの極みといってよいような生活だが、桃花は言いようのない息苦しさのようなものを感じていた。
そんなある日、疎遠だった友人・涼子から呼び出される。涼子が告げたのはテレビ番組制作会社の激務で心身を病み、退職を余儀なくされたことだった。そして、涼子は急場のお金として200万円を貸してほしいというのだった。
友人の申し出とはいえあまりの大金に困惑する桃花は宗弘に相談するのだが、宗弘は二つ返事で涼子にお金を貸すという。
友人を大事にしなければ。宗弘のいうことはわかるが……。あまりにも違う金銭価格に桃花は困惑するのだった。
前編:気鋭の実業家と玉の輿婚をした女性が幸せなはずの結婚に息苦しさを覚えたワケ
今、ちょっと話せる?
桃花は料理の手を止めて、スマートフォンの着信画面を見つめた。表示された名前は、柴田涼子。
あれから1ヶ月、彼女からの連絡はすっかり途絶えていた。返済の目途が立ったのだろうか。そんなことを考えながら通話ボタンを押す。
「……もしもし?」
「あ、もしもし、桃花? 今、ちょっと話せる?」
涼子の声は、以前よりもさらに弱々しく感じられた。切羽詰まった様子に気づかないふりをして、桃花は努めて平静を装った。
「もちろん。大丈夫だよ。それで……どうかしたの?」
「実は、またお願いがあって……もう少しだけお金を貸してもらえないかなって……」
その言葉に、胸の奥が冷たくなるのを感じた。1度目の貸し付けから、まだ1ヶ月しか経っていない。すでに200万円を使い切ったということなのか。自然と冷たい声が出た。
「あのさ涼子、前回の200万円、まだ返してもらってないよね?」
「うん、それはわかってる。でも、今どうしても必要で……少しだけでいいの。お願い、桃花」
「申し訳ないけど、それは厳しいと思う」
「お願い、今回は200万とは言わない。50万でも、10万でもいいから」
涼子の懇願する声を聞いていると、だんだん胸の奥から不快な感覚が溢れてきた。10万円でもいい? 仮にも借金の申し込みをしようという人間の言い草だろうか。
「やめて、もうこれ以上は無理。前回も、正直気が進まなかったけど、涼子が友達だから貸したんだよ。これ以上は、私の気持ちが持たない」
思わず畳みかけると、涼子は沈黙し、やがて、絞り出すように謝った。
「ごめん……」
「とにかく、これ以上お金は貸せないから」
それだけ言うと、桃花は一方的に通話を終えた。慣れない状況のせいか、少しだけ動悸がする。深呼吸を繰り返しながら、真っ暗になったスマートフォンの画面を見つめた。
友人は会社にまでやってきて
それは、唐突な報告だった。
「今日の夕方、柴田さんが会社に来てたよ」
「えっ……」
夕食を終えたあと、宗弘が口を開いたとき、桃花は一瞬、耳を疑った。まさか涼子は夫の会社にまで金の無心に行ったのだろうか。なんて非常識な、と思ったが、続く宗弘の言葉は少し違った。
「お金を貸してほしいって感じじゃなかったよ。むしろ、君を怒らせたんじゃないかって心配してて。何度も謝ってた」
桃花は黙ってキッチンの蛇口をひねった。
「ちょっと、冷たすぎたんじゃないか?」
「冷たすぎた…? 私が……?」
桃花は顔を上げて、宗弘の顔を見つめた。その目に、非難の色を認めた瞬間、胸の奥に押しとどめていた感情が溢れ出した。
「あなたみたいに優しくすることだけが正しいの? 求められるまま限りなく与えることが、本当にその人のためになるの?」
「えっ、違うよ。俺は少しでも助けになればと……」
「あなたのやってることが間違ってるって言いたいんじゃない。ボランティアや慈善事業をするのは立派だと思うし、尊敬もしてる。でもね、特定の個人にお金を貸すのは、また別の話でしょ」
宗弘は黙ったまま、真剣な顔でこちらを見つめている。まるで桃花の言葉を、一言も聞き漏らすまいとするように。
「涼子は、生活を立て直す努力より、一時的にでも頼れる人を探してた。私が彼女の言いなりになってしまったら、彼女はどこにも進めなくなる。それにね……お金って、貸した瞬間に関係が変わるの。友だちじゃなくなる。“借りた人”と“貸した人”になっちゃう」
言葉にしながら、自分でも驚いていた。こんなふうに、誰かに自分の考えを説明したのは初めてだった。しばらくして、宗弘が表情をゆるめた。
「……桃花、そんなふうに考えてたんだな。ごめん、俺少し先走ってたかもしれない」
「ううん。私こそ、感情的になってごめん」
長い沈黙のあと、2人の間にようやく落ち着いた空気が流れた。
返済のスケジュールを考えた
初めて夫婦で言い争いをした翌日、宗弘が差し出したのは、1枚の紙だった。
「これ、借用書のテンプレートと返済スケジュールのシミュレーション」
「え、作ったの?」
「そう、弁護士にも見てもらった」
「早いわね」
「昨日、君が真剣だったからさ。ちゃんとしたほうがいいって思ったんだ」
それから宗弘と相談して、もう一度涼子に会うことにした。静かなカフェで、桃花はできるだけ丁寧に話をした。
「改めて言わせてもらうけど、追加でのお金の貸し出しはできない。でも、最初に貸した分については、ちゃんと計画を立てて返してくれたらいい。利子も取らない」
涼子は唇を噛んで黙っていた。しかし、最後には「わかった」とうなずいた。
「それから……もし、ちゃんと働く気があるなら紹介できる人がいる」
それは宗弘の友人で、最近制作会社を立ち上げたばかりの人物。まだ小さい会社だが、映像制作に熱意を持つ人間を求めていると聞いていた。事前に聞いた採用条件は、涼子の経歴に合っているように思えた。
「ありがとう。もう一度頑張ってみる」
そう言った涼子の顔は、どこかほっとしたようでもあり、不安げでもあった。しかし、目には確かに光が宿っていた。
間もなく涼子は、件の制作会社で働き始めた。真面目に取り組んでいるらしく、毎月少しずつではあるものの、滞りなく返済も続けている。
「涼子ちゃん、うまくやってるみたいだね。あいつも褒めてたよ」
「それならよかった。宗弘のおかげだね」
「いや、俺は何も。安易な解決方法に走ってしまったしね。やっぱり涼子ちゃんが
生活を立て直し始めたのは、桃花のおかげだと思うよ」
「そっかあ……じゃあ、そういうことにしておこうかな」
桃花たちは、涼子の件をきっかけに2人で話をする時間が増えた。お金のことだけではない。テレビで流れる政治経済のニュースから、最近見た映画の感想、今後の家族計画についてなど、話題は様々だ。
話すようになったのは、宗弘が何をどう感じるのか、どんなふうにものを考えるのか知りたい、というのがひとつ。自分の持つ価値観を彼に知ってほしい、というのがひとつだ。今までは、なんとなく宗弘と対等ではないという感覚があった。彼に引け目を感じるあまり、桃花は無意識のうちに自分を一段下に置いていたのだろう。
だが、卑屈になる必要はない。宗弘は桃花の意見に耳を傾け、1人の人間として対応に接してくれるのだから。
「あ、そうだ。桃花、どこか行きたいところある? もうすぐまとまった休みが取れそうなんだ」
「ほんと? じゃあね……一緒にボランティアに行ってみたい」
「えっ、いいの? どこかに旅行でもと思ってたんだけど……」
「いいの。宗弘やお義母さんたちが、いつもどんな活動をしてるのか、ちゃんと知りたいから」
「わかった。そうしよう」
宗弘は笑って、桃花の手にそっと自分の手を重ねた。
※複数の事例から着想を得たフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
Finasee マネーの人間ドラマ編集班
「一億総資産形成時代、選択肢の多い老後を皆様に」をミッションに掲げるwebメディア。40~50代の資産形成層を主なターゲットとし、多様化し、深化する資産形成・管理ニーズに合わせた記事を制作・編集している。