『あんぱん』阿部サダヲと竹野内豊は“良心”の象徴だった 「絶望の隣は絶望の2丁目」の重み

2025/05/31 05:30

『あんぱん』写真提供=NHK 朝ドラことNHK連続テレビ小説『あんぱん』第9週「絶望の隣は希望」(演出:野口雄大)では、のぶ(今田美桜)が若松次郎(中島歩)と結婚。お祝いムードの週か思いきや、屋村(阿部サダヲ)いわく「絶望の隣は絶望の2丁目かもな」というセリフが印象に残る、すこし重苦しい週であった。  嵩(北村匠海)
『あんぱん』写真提供=NHK

 朝ドラことNHK連続テレビ小説『あんぱん』第9週「絶望の隣は希望」(演出:野口雄大)では、のぶ(今田美桜)が若松次郎(中島歩)と結婚。お祝いムードの週か思いきや、屋村(阿部サダヲ)いわく「絶望の隣は絶望の2丁目かもな」というセリフが印象に残る、すこし重苦しい週であった。

 嵩(北村匠海)に寛(竹野内豊)の危篤の知らせが届くも、卒制を仕上げてから帰郷すると時すでに遅く、寛は息を引き取っていた。あんなにお世話になった伯父の死に目に会えなかったのみならず、のぶ(今田美桜)は結婚を決めていた。

 「なんのために生きるのか」は寛から学んだ人生哲学だが、嵩は「なんのために」卒制を仕上げたのか状態である。絵を仕上げたらのぶに気持ちを伝えようと思っていたのに。そうすれば、これまでのダメな自分から卒業でき新たなスタートを切れると、嵩は思ったのだと思う。それが、すべて徒労に終わってしまった。

 それでも寛の言葉「絶望の隣は希望じゃ」を心の支えに前を向いていこうとする嵩を、屋村がからかう。それが「絶望の隣は絶望の2丁目かもな」だった。屋村なりの屈折した励ましではあると思うが、どうやら屋村は失恋よりもしんどい絶望を知っているらしい。それを感じさせたのは、朝田家に陸軍が乾パンをつくることを要請したときだった。屋村は乾パンづくりを拒否する。

 屋村がやりたくないというので、断ることにしたが、みるみる町ぐるみで朝田家に冷たくなっていく。一見なごやかな町のようだが、目に見えない同調圧力が人々の言動を縛っていた。のぶも学校での立場が悪くなる。このままではこの町で生活が立ち行かなくなると心配した釜次(吉田鋼太郎)は屋村に土下座して乾パンを作ってほしいと頼む。

 そのとき、屋村はなぜ自分がこうまでして乾パンづくりを拒むのか、理由を明かしたようなのだが、視聴者には真相はお預け。屋村は町を出てしまう。屋村が銀座のパン屋にいたことも含め、屋村の過去が明らかになるのはいつの日であろうか。

 結局、愛国婦人会の民江(池津祥子)のはからいによって、朝田家は乾パン作りを正式に請け負うことになり、町民たちへの面目も立った。これから戦争が激しくなっていくと、やっぱり住人同士の助け合いも大事になっていくだろうから、孤立は避けたほうがいい。粛々と軍御用達の乾パンづくりに励んだほうが何かと得策であろう。

 あんまり住人が描かれていなくて、朝田家、柳井家、団子屋、和尚くらいしか出てこないのだが、彼らの雰囲気からは平和で楽しい御免与町という印象がこれまではあった。だが、乾パンの一件によって意外と住人は冷たいことがわかったわけだが、その時期と寛の亡くなった時期が同時期であることに注目したい。

 寛は御免与町の良心だったのではないだろうか。患者を大事にして忙しくても往診を欠かさなかった寛。彼によって御免与町の健康は守られていただろう。さらに、彼は前述したような「絶望の隣は希望」というような生きる希望を語り続けてきた。「何のために生きるか」を問い、誰かに言われたことに従うのではなく、自分の心に正直に、自分のやりたいことをやることを、嵩や千尋(中沢元紀)に勧めた寛。自分に気を使って、医者の後を継がなくていい、好きなことをやればいいと自由にしてくれた寛。その人が亡くなった途端。御免与町には同調圧力がじわじわと加わってくるのだから、寛とはこの町の精神的防波堤のような存在だったと言っていいのではないだろうか。

 さらに、屋村はねじれてはいるが良心の持ち主である。もともと、兵隊になって国のために戦うことには反対だった。

 寛の死後、思い直して、医者になろうと勉強をはじめた千尋に、「人間、得手、不得手があって当たり前だ。神様がわざわざそう作ったんだからさ」「どんなにがんばってもこわいものはこわい。やなことはやなんだよ」「お前はお前の人生を生きろ」「適当だよ、適当に生きるって決めたんだ。適当は気楽でいいぞ。なあ優等生」と助言する。

 寛は寿命を縮めても医療という自分のやりたいことをやり、屋村はやりたくないことからとことん逃げる。でも、朝田家のために乾パン作りのコツを教えて去っていく。そこに人情が滲む。やりたくないことはやりたくないと言いながら、他者のことを見捨てることはできないのだ。てっきり、レシピが屋村の頭のなかにあって、それをのぶたちに伝授したくないのかと思って見ていたら、レシピは軍のものがあった。屋村の技術力がたぶん超絶G難度級で、羽多子(江口のりこ)にはとうてい身につかないものだったのだろう。ということはさておき。こうして、町の良心・寛を失い、もうひとり、助っ人のような良心・屋村も去っていき。御免与町は軍の思いのままになる人ばかりになってしまった。のぶも軍や学校の意向を聞く側である。これから御免与町はどうなってしまうのだろう。次週予告によれば、嵩が出征してますます戦争が色濃くなる。

(文=木俣冬)