海外から見て日本は有望な市場
─ シリコンバレージャパンは2018年の創業だそうですが、事業内容を聞かせて下さい。
前田 一言で言えば、米シリコンバレーのスタートアップ、イノベーションを日本に持ってきて、育てることです。
シリコンバレーを中心にAI(人工知能)を始め、テクノロジーに関して先進的な取り組みをしている企業は、世界4位の経済大国である日本には、必ず進出をしたいと考えています。そうした企業からお声掛けいただいて、日本進出のお手伝いをしているんです。
また、この会社と同時並行で、チャンネルファクトリーという会社の日本代表も務めています。この会社はYouTubeのコンサルティングで世界で一番大きい企業です。
─ シリコンバレーから見た場合、日本市場というのはどう見えているんですか。
前田 以前は少し特殊な、難しい市場だと見られていました。ただ、今は日本政府、東京都なども海外のスタートアップの進出を促すべくPRをするようになっていますから、シリコンバレーから見ても有望な市場だと見えているのではないかと思います。
また、元々おられるベンチャーキャピタルの他、大企業もコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)を設立するなどコラボレーションする姿勢を示していますから、以前よりも日本市場に入りやすくなってきたのだと思います。
為替の円安や、シェアオフィスなど簡易に入居できるオフィスなども増えており、ハードルが下がっていると思います。インバウンド(訪日外国人観光客)が増えているのと同じように、外国投資受入スタートアップは10年で7〜8倍に増加。制度整備と外国人創業者増で日本進出環境が向上しています。
─ そこをつなぐのが前田さんの会社の役割だと。
前田 ええ。海外起業家が来日した際、日本のリーダーの方々との商談を設定させていただくなど、ご紹介の機会をつくるようにしています。
─ 日本は今、人口減、少子高齢化と、構造的な問題を抱えていますが、前田さん自身はどう見ていますか。
前田 今、世界的にAIが進展しており、ソフトバンクグループの孫正義さんも米国で大きい投資をされています。このことは少子化、人手不足といった社会全体の課題解決につながるのではないかと見ています。
日本は経済協力開発機構(OECD)平均よりやや短いが欧州より長時間労働で生産性が低い特徴があります。人口は2010年から約400万人減少し、今後も縮小が続きます。一方、働き方改革で残業は月45時間・年720時間以内と制限され、有給5日取得が義務化されたことで、人手不足の中で思うように働けない状況も生まれています。そうなるとAIが非常に重要になります。
また、地方への投資は重要なテーマです。特に地方経済の活性化に直結します。一つの成功例が熊本だと思います。半導体で外資系企業が地方都市に巨額の投資を行い、そこに関連する方々がビジネスを行う。観光ではなく、ビジネスで継続的に足を運ぶことは、観光客の1.5〜2倍の地域経済効果をもたらし、長期的に数十年続く持続的成長につながる点で重要です。この成功例は、他県や地域を活性化する起爆剤になると思います。
これは半導体セクターだけでなく、他の領域でも、積極的に外資系企業からの投資を呼び込むための活動を進めていくべきだと思っています。
地方活性化に向けて 外資からの投資を活用
─ 投資を呼び込めるだけの魅力が日本にはあると?
前田 あると思います。領域で積極的に外資系企業から投資を呼び込むということをやっていくべきだと思います。例えば北海道のニセコは、人口の約12%が外国人居住者で、観光客の4割以上が海外から訪れるなど、日本でも突出して海外から魅力的に映る地域の一例です。
こうした流れを生かして、日本経済活性化に向け、観光だけでなく外資系企業からの投資につなげていく。その手法で成功したのがシンガポールです。
また、日本と米国は同盟国であり、年間24兆円規模の貿易と7000社の米国企業進出、5万人の米軍駐留が示す通り、関係は極めて密接でグローバルに連携しています。それが資産として積み重なっていますから、この関係性を上手に日本の地方に還元させると同時に、日本からシリコンバレーに投資することも考える必要があると思います。
─ シリコンバレーの企業に、そうした意識があるわけですね。
前田 そうです。米国企業がアジアに投資しようと考えた時に、日本をハブにしようという考えは普通にあるんです。
欧州企業の経営者と仕事をする中で感じたのは、彼らが日本と中国を明確に区別していたことです。日本は世界第4位の経済規模(約4.2兆ドル)を持ち、国際調査でも7割以上が「信頼できる国」と評価しています。そのため、欧州からの対日投資は14兆円規模に達し、長期的な信頼関係を築ける国だと認識されていました。
外資系企業にとって、日本は単なる拠点ではなく「イノベーションハブ」と位置づけられています。実際、日本には約7000社の米国企業が進出し、対日直接投資残高は67兆円を超えます。支社というより、長期的に戦略的パートナーシップを育む場として捉えられているのです。
─ 逆に日本企業が海外に進出したい時の手助けはできますか。
前田 できます。経営者の方のマインドセットにもよると思いますが、私達は短期間で海外拠点を立ち上げたり、同時並行で米国と欧州に進出したり、アジアに拠点を構えたりということについて、テスト期間を設けてサポートすることができます。
例えば、米国のグローバル企業は多くの場合、複数の地域に同時に進出します。米国と欧州に同時に進出し、そこで得られた成功事例を日本で展開するといった形です。
高校から米国へ 様々な企業での経験を経て
─ ところで、前田さんが米国に渡ったきっかけは?
前田 私は東京出身なのですが、17歳の時に日本から米国の高校に転校したんです。1995年頃、私のいとこがシアトルに在住していて、エンジニアとしてマイクロソフトに勤務していました。
95年に訪問したマイクロソフトのオフィスは、社員数が2万人近くに急成長し、ウインドウズ95が世界で数千万本売れる勢いの中、自由度の高い環境に強い刺激を受けました。
そうして現地の高校に3年生に編入しました。ホストファミリーとして受け入れていただいて、そこで暮らしながら高校に通うことができたんです。
そのご家族も結構ユニークで、多くの養子を受け入れていて、様々な国の出身の子ども達が10人くらい一緒に暮らしていました。私はそのご家族に3年ほどお世話になりました。
─ 米国の人々の懐の深さも実感したわけですね。
前田 ええ。ただ、高校は公立の学校に通ったのですが、白人の他、アジア系、メキシコ系などがミックスになっていました。当時、フードコートで拳銃を撃つような事件があったりして、死者は出なかったものの米国の現実を目の当たりにしましたね。
─ 大学はどこに行ったんですか。
前田 ワシントン大学のビジネススクールでマーケティングを専攻しました。メリルリンチでインターンをしながら通っていたのですが、当時オンラインで株式をトレードするといったことが始まっていました。
当時、ソフトバンクさんやヤフーさんがすごい勢いで成長していて、私もオンラインでトレードしていました。その流れでシリコンバレーのスタートアップへの投資を少額から始めたんです。その企業の株主総会に参加するために、初めてシリコンバレーを訪れました。その後、四半期に1回は訪問するようになったんです。
─ シリコンバレーには魅力を感じましたか。
前田 やはり新しいことを常に吸収できる、新しいものがどんどん生まれてくる場所だと感じましたね。
─ 大学を卒業して、シリコンバレー関係の仕事をしたいと考えたわけですね。
前田 そうです。なかなか仕事が見つからず、いろいろ苦労をしましたが、マイクロソフトの元幹部の方が立ち上げた、eコマースを手掛けるIT企業に就職することができました。その会社のメンバーとは今でもSNSでつながるなど仲良くしていますが、その会社は他社への売却でなくなってしまいました。
現地の日本企業に少しお世話になった後、01年頃に一旦日本に帰国しました。そこで現在は東証プライムに上場しているメンバーズという会社の創業期に入社させてもらい、法人営業などを担当したのです。
ただ、起業したいという思いもあって退職し、米カリフォルニアの高級家具メーカーの日本支社設立に参画しました。米本社の社長に事業計画をプレゼンするなどして採用され、日本企業との合弁で日本支社を立ち上げました。ただ、今はもう日本から撤退しています。
─ その後、起業したわけですか。
前田 いえ、一度規模のある会社でキャリアを積もうと考えて、NTTで8年ほど仕事をしました。今で言う動画配信事業で、「NTTぷらら」というNTTグループの映像配信事業の会社の立ち上げメンバーとして参画したんです。ちょうどNTTグループが新たなビジネスの可能性を模索している時期でした。
NTTにいる時に「ビデオロジー」という動画広告の技術を持った外資系企業が日本に進出するという話があり、その日本支社を立ち上げて欲しいという話をもらい、参画しました。
5年ほど、この仕事に携わった後、米国のアマゾンの専門コンサルティング会社、「フライウィール」の日本進出にあたり、日本代表として参画することになりました。
これらの経験は、まさに今の仕事にリンクしています。外資系の有望スタートアップの日本への進出、日本市場で成功するためにサポートするということが、自分の得意領域だと思い至ったのです。
米国人の根底にある 精神性とは?
─ この7年、仕事をしてきた中で嬉しかったことは何ですか。
前田 シリコンバレーの最先端技術や取り組みを、常に情報として得ることができるのは自分の喜びです。そうして、自分がサポートした会社が成長する姿を見ることができるのは、本当に嬉しいですね。
─ 米国は常に新しいものを生み出しているわけですが、その活力はどこから来ていると見ていますか。
前田 米国は日本に比べると長くはないものの、国としての歴史があります。その1つが米国の「建国の地」であるフィラデルフィアにある「リバティ・ベル」(自由の鐘)です。この鐘は米国の「独立」や「自由」を象徴するものですが、そうした精神は米国人の根底に強くあると感じます。
─ グローバルで仕事をしてきた前田さんにとって「国」とはどういう存在ですか。
前田 自分にとって日本は祖国ですから、もっともっと元気になってもらいたいという思いは強く持っています。
例えば21年に東京オリンピック・パラリンピックがされましたが、国を挙げて1つの大きなイベントを開催すると、普段は別々に活動をしているような人々が力を合わせますし、違う会社、グループの人たちと仲間になってプロジェクトを進めたりします。
そうした大きなプロジェクトをどんどんやって欲しいですし、それによって多くの海外の人たちが日本を訪れ、楽しんでくれます。その繰り返しによって、日本が元気になっていくことを期待したいですね。