コロナ禍により将来の見通しが不透明な今、本業以外からの収入源の確保は必須となりつつある。その最たる手段が投資だ。とはいえ、世の中には様々な投資手法があり、自分にとってどれがベストな選択肢か迷ってしまう人も多いだろう。本記事では10年余りで年1,600万円の副収入を得る現役銀行員の内田裕樹氏(55)にインタビューを実施。自身の経験からサラリーマンがFIRE(Financial Independence, Retire Early)をも視野に入れたお金に困らなくなる堅実な投資法を聞いた。
40代から12年間で副収入年1,600万円を達成
―まずは内田さんの現在の資産状況をお教えいただけますでしょうか。
ほとんどが投資用不動産ですね。少しだけ株式も持ってはいますが、株主優待目当てで10年以上業績も株価も気にしたことはありません。(笑)
不動産は都内のワンルームマンションが11戸と、アパートが1棟、二世帯住宅を1階と2階で別々の家族に貸している戸建てが1軒、普通の戸建てが1軒あります。以前はもう1棟、郊外にアパートを所有していたのですが、売却してしまいました。
これらの不動産からの家賃収入が年間で1,600万円、総資産は購入額ベースで1億8,000万円ですね。
―年間1,600万円はすごいですね。いつから不動産投資を始められたのですか。
2009年、私が42歳のときですね。2015年に14戸目を購入しましたので、6年で買い増しをし続けた感じです。特に1年目は一気に5戸買って、その後の5年間も毎年コツコツと物件を増やしていきました。
―初年次から5戸ですか。もともとお金持ちだったとか…。
いえ、決してそんなことはありません(笑)。勤めているのは中規模の銀行ですので、年収は上場企業の平均くらいですし、両親も中小企業のサラリーマンでした。
なので不動産投資を始めるにあたり特別な資産はなく、投資にあたって資金的な援助もありません。まさにゼロからの出発でしたね。
ただ、将来は自宅を買いたいと思っていて、約20年かけてコツコツためた貯金がある程度はありました。そのお金をすべて投資用不動産に入れたのです。ですので、住まいは50歳過ぎまで築50年のボロボロの社宅でした(笑)。
バブル崩壊で勤務先が倒産…。金融マンでも安泰ではない
―不動産投資を始めるまで、どのような日々を送っていたのですか。
私は大学卒業後、新卒で大手証券会社に入社しました。仕事一筋、とまではいきませんが、1日3時間程度の残業はほぼ毎日でしたね。前例がなかったり、無理と言われた案件を達成したりして、自分の成長を実感するのが楽しく、仕事が苦だとはあまり感じていませんでした。
ですのでその証券会社で一生勤めるのかな、と漠然と思っていました。しかし、31歳のとき、会社がまさかの自主廃業に追い込まれたのです。
幸いにも再就職先はスムーズに決まりましたが、大手の証券会社でも潰れるとは…と驚きましたね。大企業でも安泰ではないなと実感しました。
―「大企業でも安泰ではない」。コロナ禍の今にも通ずることですね。そこからの生活は大丈夫だったのでしょうか。
転職した銀行でも多少のごたごたはありましたが、それ以上に自分の体力の衰えを感じるようになりましたね。具体的には40歳を過ぎてから、ひざや腰を痛めてしまい、長時間の残業がつらくなってきたのです。
若いころのように仕事ができなくなると、頭をよぎるのが「リストラ」の4文字。妻は以前から体調が良くなく、パートは難しいでしょうから、仕事ができなくなると収入が途絶えてしまいます。
リストラされなくても事故に遭ったり病気になったりしても同様です。多少の蓄えはありましたが、長生きがリスクとなる事態は避けたいと考えていました。
銀行員だからこそ迷いに迷った5年間
―そうした状況のなか、なぜ不動産投資を選ばれたのでしょうか。
親戚が不動産投資をしていたので、子供のころから何となく興味というか、身近な存在ではありました。ただ当時は高度経済成長期で、物価はどんどん上がり、それに合わせて持っている不動産価値も上がっていたのです。
ですので、当時の不動産投資は家賃収入を得て利回りを稼ぐという手法ではなく、財産として保有するという考え方でした。そのため興味はあったのですが、昔のやり方は参考にならない。私自身が石橋を叩いて渡るタイプの人間だったので、納得できる方法を見つけるまで5年間かかりました。
―金融機関にお勤めならば、制約はあるにしろ株式などもありかと思うのですが。
株式はたとえ9回勝ったとしても、1回負けるだけでトータルでは損をする可能性のある世界です。加えて頻繁に売買すると手数料が嵩みますし、何より人情として損切りができない。ですのでトレーダーでもない限り、株式に投資しても資産が減ってしまう可能性が高いと感じていました。
また、投資信託は持っているだけで手数料を持っていかれるので、私の中ではあまり良い投資先だとは思いませんでした。
―なるほど。では不動産投資を始めるまで5年かかったのはどうしてでしょうか。
金融機関に勤めていたとはいえ、不動産投資は全くの素人でした。ですので、始める際には本当に信頼できる業者を見つける必要があると考えていたのです。
正直なところ、不動産会社には強い警戒感がありました。というのも、当時仕事の関係で不動産会社の杜撰さを耳にしていて。例えば、住宅を販売する会社が、審査上問題ないからという理由で、お客さんが定年までに絶対返せない返済予定表を作ってきたり…。不動産会社のイメージは悪かったですね。
さらに、不動産会社の話を聞こうと最初に訪れた会社に「騙されかけた」のも要因の一つです。
その会社は新築の投資用マンションを販売している上場企業だったのですが、担当者に「新築で購入した場合、その後不動産価格がガクッと下がるのではないか」と質問すると「下がりません」と返ってきたのです。
そのときはそうなのか、とさらっと聞き流していましたが、購入直前になって気になり、再度聞いてみました。そうすると「『価値は』下がりません」と言うのです。
私が質問したのは「価値」というあいまいなものではなく「価格」だったのですが…。その時点で不信感が募り、その業者が販売していたマンションのブランドをインターネットで調べてみると案の定、年月が経つにつれ価格は下がっていました。
不動産が悪いというのではなく「そういう説明をする会社なんだ」と非常に残念に思いましたね。
そういうこともあり、不動産投資を始めるまで時間がかかってしまいました。
購入を決断できた2つの理由
―それは大変でしたね…。そんななかで購入に踏み切れた理由は何ですか。
大きくは二つあります。一つは私のなかで、不動産投資で失敗しないための方法ができあがってきたことです。
不動産投資を検討し始めてから実際に購入するまでの5年間、数多くの不動産投資関連本を読んでいました。ただ基本的に成功体験の書籍は筆者の性格や置かれた環境によるものが多く、私が自分で再現できると感じたものはありませんでしたね。
一方で、書籍で得た情報を整理すると、自分がやるとすれば中古ワンルームマンションが良いのではないか、と何となく考えがまとまりかけていました。そんななか、たまたま読んでいた日経新聞の広告で、中古ワンルームマンションで収益を上げる方法が紹介された本を見つけたのです。
早速書店に行き読んでみると、自分が直感的に「こうじゃないかな」と思っていたことが体系的にまとめられていて「これはすごい」と思いました。その本の著者が、私が1戸目を購入した日本財託という不動産会社の社長だったのです。
その後、銀行員としての知識を生かして何度もExcelでシミュレーションして、都内の中古ワンルームマンションがベストであると確信しました。
―自らシミュレーションですか、さすが金融のプロですね。もう一つの理由は何だったのですか。
もう一つは信頼できる不動産会社と不動産投資の「先輩」との出会いですね。
中古ワンルームマンション投資の本を読んだ後、実際にその不動産会社のセミナーに参加してみたのです。そこで先輩オーナーとして話されていた方がいらっしゃいました。
そのオーナーさんの本業は普通のサラリーマンでしたが、5年間ですでに10戸近く、都心のワンルームマンションを所有しているとおっしゃっていて「ホントか??」と思い、セミナーが終わってすぐにつかまえていろいろと質問したのです。
その際には一オーナー目線で自らの経験に基づく意見を聞かせていただき、会社の「サクラ」ではないと安心しました。ですので、この先輩オーナーさんの真似をすれば私も同じように資産を築いていけると確信し、それからも物件選びについてアドバイスをもらうなどして非常にお世話になりましたね。
加えて物件購入でお世話になった日本財託の担当者も前の不動産会社の営業マンとは違い、不利なことも包み隠さず教えてくれましたし、こちらからの多数の質問にも一つ一つ丁寧に回答くださいました。
半年で5戸を購入。ポイントは「複利効果」
―その後、どのようにして資産を拡大していったのですか。
最初の5戸は開始から半年の間で一気に購入しました。約20年間コツコツためた全財産で2戸を現金で購入し、それ以外は頭金プラス借り入れですね。やはり思い悩んでいた5年間のロスは気になっており、時間の浪費を少しでも早く取り戻したかったからです。
とはいえ過度なリスクは取りたくなかったので、借入比率が40~50%台に収まるように投資のタイミングを調整しながら、6年間毎年コツコツと買い増ししていきました。
―半年間で5戸購入はすごいですね。
若いときに自宅や車を買わなかったので…。住宅ローンや通常の賃貸なら毎月の支払い額が10~15万円くらいはかかると思いますが、私は社宅だったので5万円程度浮きました。
加えて車を持っていれば駐車場代で約2万円、ローンやその他諸経費を約2万円だとすれば、自宅と車を持たないだけで私の場合は約9万円を貯蓄に充てることができていましたね。
そのほかに過度な贅沢をしなければ、毎月数万円とボーナスから数十万円を貯めることができました。
こうして貯めたお金がありましたし、その後も生活費が余った分はすべて不動産に入れていました。
―短期間で物件を購入する意図はどこにあるのでしょう。
それは不動産投資における複利効果の威力に気がついたからです。
複利というのは、例えばですが私が子供のころ郵便局の定額貯金は10年預けると2倍になっていました。当時の金利は約8%です。この8%を半年複利で10年運用した場合、貯金額は2倍、つまり単利計算に置き換えると年率10%になるんです。
不動産投資では銀行からの借り入れと自己資金からの繰上返済とを組み合わせて家賃収入の利回りを疑似的に複利にすることができます。
この複利の効果を最大化するためには、できるだけ長期間かつ同時進行で物件を運用することです。だからこそ、自分が許容できるリスクの範囲内ですが可能な限り不動産にお金を入れるようにしました。
普通のサラリーマンがFIREを達成するために必要な3つのこと ―私たち普通のサラリーマンでも内田さんのように経済的自由を得ることは可能でしょうか。
誰にでもチャンスはあると思いますし、そのチャンスをつかめるかどうかが分かれ道なのではないでしょうか。
経済的自由と言われても、ハードルが高く感じるのも分かります。私も若いころには「経済的自由を得ること」には特別な能力や環境、宝くじがあたる程の強運等が必要と思っていましたから。
実際、私も最初に訪れた新築ワンルームマンションの不動産会社である意味「ババ」をつかみかけてしまい、5年間はチャンスをみすみす逃していたといっても過言ではないでしょう。
ですが、その後不動産投資の先輩や信頼できる不動産会社の担当者に出会えたおかげもあり、ようやくチャンスをつかむことができました。そこでもスルーしてしまっていたら、恐らく今の経済的自由はなかったと思います。
―心強い言葉です。そんなチャンスをつかむにはどうすればよいでしょうか。
三つあると思います。一つはこれだ、と思った分野の関係者に会って話をしてみることです。
私の場合は不動産投資でしたが、担当者と何度も話を重ねるうちに「騙してやろう」「買わせよう」としてくる人は何となく見えてきます。そして信頼できると思える場所には信頼に足る人が集まっているものです。
私はそのご縁で運よく「師匠」ともいえる不動産投資の先輩に出会うことができ、確信をもって資産形成に取り組むことができました。
二つ目はそうしてつながったご縁で「こうなりたい」と思える人に巡り合えたら、徹底的にまねることです。
もちろん我流で道を切り拓いていっても良いとは思いますが、やはり時間を要しますし、どこかで躓いてしまうこともあるでしょう。であれば、成功者からその方法を学び、まねる、「まねぶ(まねして学ぶ)」ことが成功するための一番安全な近道なのではないでしょうか。
最後は、チャンスをつかむ「覚悟」をすることです。
老後資金が足りない、今の仕事ができなくなったらどうしようか、と誰しもお金については漠然とした不安感があると思います。それらに対していかに真剣に向き合い、覚悟をもって行動することができるかどうかが重要です。
私のときも、参考とした先輩オーナーさんが物件を購入したときと比べ、利回りが下がっていました。ただ一方で、借り入れと繰り上げ返済を組み合わせてシミュレーションした場合、複利効果で単利換算にして年10%以上のリターンが見込めるとの試算が出ていました。
一度見逃したチャンスは二度と巡ってこないと覚悟しながらも、注意深く、慎重に行動した人が結果として経済的自由を手に入れているのではないでしょうか。
![内田 裕樹](https://money.smt.docomo.ne.jp/column-detail/image/F6BHQV3HQ3aySLPxWWctww.png)
内田 裕樹
広島県出身。55歳、中堅の銀行勤務。
大学卒業後、大手証券会社に就職するもバブル崩壊の影響で倒産。
その後、中堅の銀行に勤務。 42歳のときに不動産投資をはじめて半年間で5戸までマンションを増やす。
その後、マンションを買い進めて今では10戸のマンションを保有し、アパート経営にも着手。 2年前に『不動産投資で上がり(ゲームでいう上がり)の状態』に到達する。
提供・ZUU onlineブランドチャンネル「日本財託グループ」
(2021年12月10日公開記事)