海外から評価される日本がナチスのユダヤ人迫害に反対していた史実

2022/04/24 21:30

学校で習った「日本は侵略国家であり、悪い国だが、ソ連は戦勝国であって、いい国だ」といった単純な歴史観は、近年、とくにヨーロッパではすでに破綻してしまっていると、近現代史と情報史に詳しい江崎道朗氏は語ります。こうした近現代史の見直しの動きを、日本人はどのように受け止めるべきなのか。ドイツと日本が友好関係にあった第二次世界

学校で習った「日本は侵略国家であり、悪い国だが、ソ連は戦勝国であって、いい国だ」といった単純な歴史観は、近年、とくにヨーロッパではすでに破綻してしまっていると、近現代史と情報史に詳しい江崎道朗氏は語ります。こうした近現代史の見直しの動きを、日本人はどのように受け止めるべきなのか。ドイツと日本が友好関係にあった第二次世界大戦中において、ユダヤ人を迫害から守ろうとした杉原千畝、そしてもう1人の奮闘した軍人の存在を知っていましたか?

日本のユダヤ人保護政策は高く評価されている

ヨーロッパでの近現代史見直しの動きを、日本はどのように受け止めるべきなのか、という点について触れておきたいと思います。

第一に、戦後の日本の歴史教科書で描かれた「日本は侵略国家であり、悪い国だが、ソ連は戦勝国であって、いい国だ」といった単純な歴史観はすでに破綻してしまっている、ということを理解すべきです。

日本は1946年5月に始まった東京裁判で「侵略国家」というレッテルを貼られました。ドイツに対して実施されたニュルンベルク裁判がそうであったように、東京裁判においてもソ連は、判事、つまり正義の側に立っていました。

バルト三国をはじめとする東欧・中欧諸国からすれば、ソ連が正義であるような歴史観などありえません。日本では「日本は悪で、ソ連を含む戦勝国は正義だ」とする戦勝国史観こそが国際社会の常識だと主張する歴史学者が多いのですが、バルト三国やポーランドでは、この歴史観は通用しません。

「お前らは何を言っているのだ、ソ連のスターリンやアメリカのルーズヴェルトが正義なわけがないだろう。ルーズヴェルトはヤルタ会談で俺たちの自由をスターリンに売ったのだぞ」と鼻で笑われるだけでしょう。

第二に、第二次世界大戦のヨーロッパ戦線において、日本はほとんど無関係です。確かに日本は、ナチス・ドイツと同盟関係にありましたが、実際にヨーロッパ戦線に軍隊を送ったわけではありません。

むしろ、ナチス・ドイツと同盟関係にあったにもかかわらず、ナチスのユダヤ人迫害政策に反対していました。そして、幸いなことに現在、日本のユダヤ人保護政策は高く評価されているのです。

例えば、リトアニアにはホロコースト博物館があり、前庭には、杉原千畝を「我々の味方であった」と称えるモニュメントが建っています。

▲杉原千畝 出典:ウィキメディア・コモンズ

杉原千畝の評価については、さまざまな議論がありますが、少なくともリトアニアは、杉原千畝のことも含めて、日本はナチス・ドイツと同盟関係にあったにも関わらず、ユダヤ人を守ろうとしてくれた国であり、戦後はソ連によるシベリア・樺太抑留で苦しんだ、同じ仲間だと思ってくれているのです。

ラトビアの軍事博物館には、日の丸の旗が飾ってあります。第二次世界大戦後、多くのラトビア人たちがソ連によってシベリア、樺太に送られ、強制労働をさせられました。そのとき、同じシベリア、樺太にいた日本人たちと知り合いになり、プレゼントされた日章旗を本国に持ち帰ったのだそうです。

ラトビアは、1991年の独立回復後、ソ連の全体主義に苦しめられて助け合った日本人たちは味方である、という理由から日の丸を飾ってくれています。

よって、日本としては、戦前からドイツと同盟関係を結ぶことに反対していた政治勢力があったことを対外的に宣伝しつつ、まずは、ナチスのユダヤ人迫害に反対していた史実を国際的にアピールすることが重要だと思います。

▲1940年に外交官杉原によって付与されたビザ付きチェコスロバキアパスポート 出典:ウィキメディア・コモンズ

ユダヤ人迫害に反対した樋口中将の功績

幸いなことに、杉原千畝氏以外にも、ユダヤ人迫害に反対した軍人が日本には存在します。その代表的な人が樋口季一郎中将です。

▲樋口季一郎 出典:ウィキメディア・コモンズ

樋口中将は、ハルビン特務機関長だった1938年以来、ナチス・ドイツの迫害から逃れ、満洲を経由して上海に亡命することを目指していた、総計2万人に及ぶといわれるユダヤ難民の救済に尽力し、その人道主義は国際的に評価されています。

樋口中将は終戦に際してソ連軍が中立条約を一方的に破棄し、まず南樺太、さらに日本降伏後の8月18日に千島最北端の占守島に侵攻してきたときも、第五方面軍司令官として「断固反撃」を指令、スターリンの北海道・東北占領計画を粉砕して、日本の国土分割の野望を阻止しました。

このとき、スターリンの北海道・東北占領計画が成功していたら、日本はその後、分断国家となり、北海道と東北の日本人は家族を人質に取られ、関東以西の日本地域でスパイやゲリラ活動を強制され、日本人同士で殺し合いを余儀なくされたに違いありません。そして一旦、殺し合いを始めたら、日本は憎悪の連鎖に引き込まれ、内乱状態に追い込まれたに違いありません。そうなれば、戦後の奇跡の復興もなかったでしょう。

そこで、この樋口中将の功績を後世に伝えるために「一般財団法人樋口季一郎中将顕彰会」が設立され、2021年7月9日には、設立記念シンポジウムが東京の憲政記念館で開催され、私もパネリストとして出席しました。

このシンポジウムには、アメリカの戦略家エドワード・ルトワック氏からも次のような祝辞が届きました。

《樋口季一郎の名は、ユダヤ民族が存続するかぎり記憶され続けることでしょう。ユダヤ人の記憶は2000年の時を超えて、記述された形で生き続けてきたものです。ユダヤ人の敵は憤怒をこめて記憶に深く刻まれますが、ユダヤ人の友は深い感謝の念をこめて、永遠に記憶されます。樋口将軍が直面したのは、単純な決断でした。国境で起きていた事態を知ったとき、幾千人の人々が生存することを助けるために、あらゆる重荷を引き受けるべきか、それを見過ごすかという決断です。もし彼が日常の軍務を遂行するだけにとどまり、ユダヤ人たちをその運命に委ねたとしても、誰からも咎められなかったでしょう。しかし、彼は自らを咎めることになると思ったのでしょう。英雄とは、なされるべきことをなす指令を下すことに躊躇することを知らない人たちです。彼らは喝采を求めることもない。皆様とご一緒に樋口季一郎を記憶し続けることは、高い名誉に預かることにほかなりません。エドワード・ニコラエ・ルトワック(戦略家)》

戦前も戦時中も日本は、ナチスのユダヤ人迫害政策に賛成せず、ユダヤ人を保護しようとしました。その「史実」をもって世界に知らせることで、“ナチス・ドイツと同盟を結んでしまったことへの反省”を示すべきなのです。

外交においては、味方をつくるということが重要です。相手を批判すること以上に、味方の存在を認識し、そして味方となっている理由を正確に理解し、味方を増やすことが極めて大事なのです。

※本記事は、江崎道朗:著『日本人が知らない近現代史の虚妄』(SBクリエイティブ:刊)より一部を抜粋編集したものです。

(2022年2月18日公開記事)