連載「逆張り」常識の反対を行って勝った人たち
ぎゃく—ばり【逆張り】(取引用語)相場の人気のよいときに売り、悪いときに買うこと。(広辞苑第7版)。←→順張り。
他人と同じことをしていては大勝ちできないのは、投資でもビジネスでも同じ。だが言うは易く行うは難しというように、人と同じことなら安心してできても、人と違うことをするのは簡単ではない。しかし時代やトレンド、環境に左右されずに自らの道を突き進み、周囲から見れば“逆張り”をして大成功した投資家や起業家、発明家は多数いる。この連載では、そうした周りに流されずに、周りと異なる道を進んで成功につながった様々な事例を紹介する。
第1回 ユニクロ──バブル前夜、DCブームの中、「低価格」路線の開業で成功
国内店舗数800店以上、海外では24ヵ国・地域に1,400店舗を超え、フランスの有名ブランド「ポール&ジョー」とコラボするなど、今や名実ともに世界トップレベルの“アパレルブランド”となったユニクロ。「Lifewear」(究極の普段着)をコンセプトに掲げ、ベーシックなデザインな特徴で人気を博してきたが、実はその誕生は“逆張り”だったことは忘れられているかもしれない。
「DCブランドブーム」の真っ直中、安さを売りに1号店を開店
柳井氏は父が設立した小郡商事株式会社(現ファーストリテイリング)に1972(昭和47)年に入社、とんとん拍子に出世して1984(昭和59)年に社長に就任している。まさにその年、柳井氏が主導してユニクロの第1号店を広島市で開店させているのだが、ユニクロはスタート時点ですでに“逆張り”な存在だった。
というのも、当時の日本はまだ平成バブル前夜、「DCブランドブーム」の真っ直中だったからだ。DCブランドとは、デザイナーズ&キャラクターズブランドの略。それまでのアパレルメーカーの大量生産路線に反し、デザイナーの個性が反映された高級ファッションブランドが一大ブームとなっていた。
店舗はブティック、販売員はマヌカン(ハウスマヌカン)と呼ばれ、BIGI、Y's、コム・デ・ギャルソン、イッセイ・ミヤケ、PERSON'Sなど、この当時に生まれ現在も人気のDCブランドは多数存在している。
こうしたブームは、1970年代後半から始まり、最盛期にはブランドが入居する丸井などの百貨店に大行列ができるなど、社会現象にまでなっている。ちなみに1986(昭和61)年には「夜霧のハウスマヌカン」という曲がヒットしている。こうしたブランドでは普段着用の服が数万円で販売されるなど高価なものも珍しくなかったが、飛ぶように売れていた。
そんなDCブランドブームのさなかの1984年6月2日、広島市中区袋町にユニセックスカジュアル衣料品店「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」(UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE)がオープンした。アップルがマッキントッシュを発表、ロス五輪が開催され、トヨタ自動車の時価総額が5億円を超えるなど、経済が活気に満ち溢れていたそんな時期に、安さが売りのカジュアル衣料品店を開店することは、業界から時代に逆行していると当時は捉えられただろう。
しかし、実際に店舗を開店すると1号店には大行列ができたという。ラジオ中継で柳井氏が「人が多すぎるので来ないでください」と呼び掛けたというからすごい。当時を回想し、柳井氏は「金鉱脈を発見した気分だった」(中国新聞・2014年6月3日付朝刊)と語っている。正確を期すと、柳井氏が社長に就任したのは1号店の開店の数ヵ月後だが、その12年前の1972(昭和47)年に入社していた柳井氏がGAPなどを視察して、カジュアルウェア専門店チェーンの展開を決意したことが、ユニクロという形で結実したのだ。
逆張りを貫くユニクロ、バブル崩壊でさらに店舗展開を軌道に乗せる
その後の日本は、1985年のプラザ合意によるドル高是正をきっかけに、平成バブルへと突入していき、「高い商品ほど売れる」状態だったが、ユニクロはカジュアル路線を貫いた。
1台500万円の日産シーマが売れに売れる「シーマ現象」は、当時のバブルのすごさを示すエピソードとして有名だ。初代モデルは発売から4年間で12万9,000台販売されている。また、東京都心では高級外車が走っている光景も当たり前になり、東京都心ではBMWが「六本木カローラ」と呼ばれるほど大衆的な存在になった。
高額商品が売れるなかでも、低価格のカジュアル商品を売り続けたユニクロは、日経平均株価が過去最高値をつけた1989(昭和64/平成元)年度までに22店舗を展開したが、バブル崩壊で店舗展開はさらに軌道に乗る。バブルが崩壊したことで人々は安くて良い商品を買い求めるようになり、ユニクロの商品への人気がさらに高まったからだ。年間売上高の過去最高を毎年更新しながら、店舗数は1994(平成6)年度には100店舗を、2001(平成13)年度には500店を突破した。
特に低価格商品として展開していたユニクロのフリースは大ヒットし、2000(平成12)年から2001(平成13)年にかけては販売2,600万枚を記録した。
“逆張り”という出発点・原点を忘れず、今後も業界をけん引していけるか
今ではユニクロを展開するファーストリテイリングは、アパレル業界において時価総額で首位争いをするなど、既に挑戦者という立場というより王者という風格が漂っている。
ただし時代は移り変わる。バブルが弾けて低価格で良いものが支持されるようになったように。「栄枯盛衰」という言葉もあるように、ユニクロもこのままの路線を続けていては、いずれ今の勢いを失う日が来るかもしれない。
しかし、逆張りでここまでの成長を果たしてきたユニクロだ。逆張りという出発点・原点を忘れなければ、今後も日本そして世界のカジュアル衣料品業界を今後もけん引し続けていくのではないだろうか。
文・岡本一道(経済ジャーナリスト)
編集・濱田 優(dメニューマネー編集長)
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