不思議の国に飛び込んだような気分。そう、アリスの気持ちに近い。これは仮想通貨……いや、どうやら今は暗号資産と呼ぶらしい世界をのぞいた時の、正直な感想である。
株式の世界で生きてきた人間が、まったく無知(未知)の暗号資産を読み解いてみよう。
実在しない人工的な「もの」
マーケットと呼ばれる世界は本来、金・銀や原油、大豆、砂糖などの天然資源商品、あるいは株式や債券など民主主義経済における資金調達手段として生み出された資産、そして不動産など実物資産を売買の対象とした世界である。
言い方を換えれば、実物として存在するのが伝統的なマーケットである。現在では、実物資産の派生として先物やオプション(権利、予約等)など実物がない資産のものもある。しかし、暗号資産はそのどれにも属していない。
天然物でもなければ実在もしない、派生されたものでもない、人工的に生成された「もの」。それが暗号資産である。
暗号資産の解説書によれば、これが誕生するきっかけとなったのは、どうやら「ブロックチェーン」という概念・技術とされている。ブロックチェーン技術を初めて具現化した証しが、暗号資産という「もの」だとされている。
ブロックチェーン技術の特徴としては、以下のような点が挙げられる。
- 暗号化技術(つめて並べる手法)
- コンセンサスアルゴリズム(みんなで確認するルール)
- P2P(ピアツーピア/リーダーはいない)
- DLT(分散型台帳技術/自立型分散システム)
簡単に言えば、ある情報(売買や契約など)をブロック(箱)ごとに詰めて、それらをチェーン(鎖)で結び付け、ひとつのブロックが作られるたびに、そのチェーンに参加している「全員」で、ブロックの中身をチェックし、承認する。中心的な管理者、チェック者がいない状態を構築している「もの」である。
とはいえ、今ひとつ判然としない仕組みといえる。
偽物が不可能という利点を最大限に生かせるのが、通貨
ブロックチェーン技術の最大の利点は、偽物を作ること(改ざん)が極めて困難であると、どの解説書にも書かれている。
マーケットの世界に限らず、偽物の存在が最も厳しく管理・規制されているものといえば、それは通貨であることは世界の共通認識である。通貨の偽造を許せば、世界の経済はすべて偽物の経済となることは、素人でもわかるからだ。
そこで、偽造が不可能という最大の利点を、偽造を決して許さない通貨に応用するという発想が、暗号資産(仮想通貨)の誕生の原点と理解できる。また、その利点を生かせば、全く新しい世界共通通貨としての役割が実現できると考えても不自然ではないだろう。
そもそも既存の通貨自体も自然界にはなく、物々交換の間を仲介する代物として、人間の知恵の結晶として生まれた経緯がある。金(きん)が中心的な時代もあったが、もっと便利なものとして通貨という「もの」が誕生した。
だが、信任の強さでは世界一とされる米ドルの偽紙幣が過去に何度も見つかっていることは、多くの人が知るところだろう。
その一方で、今や実物のお札、つまり紙幣や貨幣そのものの流通量(枚数)は電子商取引、IT化の流れから大幅に減少し、通貨は電子データとしての位置づけが増大している。つまり、データを偽造できない利点を通貨に利用しようとする考えは、いたって自然な考え方であったのだ。
トリセツの無い数千種類の資産
さて、暗号資産の森の中に入ってみよう。
今では暗号資産は、ビットコイン(BTC)、イーサリアム(ETH)、リップル(XRP)、テザー(USDT)など数多くが生成されている。一体どれだけの数かといえば、5000種類以上はあるとされている。それぞれに名称があり、略式で3ないし4文字程度のアルファベット記号で表示される。
数の多さでいえば株式のそれと同規模で、略式の記号は株式のティッカーシンボル(商品名を省略したもの)そのものだが、そこにはなんの由来も感じられない。そのため、一体どれがどんな暗号資産なのかの見当がつかず、そもそも読めないものもある。
ビットコインが初の暗号資産として認知されて以降、ビットコイン以外の暗号資産(アルトコインと呼ぶ)が次々と生成されているが、それぞれの特徴を調べるにも苦労するのが現状だ。株式と違って発行のルールが定まっておらず、発行元もあやふやで、解説する取扱説明書(トリセツ)もない。
森の住人に聞くと、解説する人間のほとんどはコンピュータ技術者などのエンジニアであり、売買が趣味としか思えない人ばかりで、外界からやってきた人間の目線では、その仕組みを知るよしもない。株式市場においては歴戦のプロでも、この森のことはさっぱりよくわからない、というのが正直なところだ。
ただ現実として、暗号資産はほぼ24時間体制で売買されており、そのマーケットの存在は、ビットコインを筆頭にすでに世界中で知られている。
仮想通貨から暗号資産に名称が変わった理由とは?
冒頭で指摘した通り「仮想通貨」から名称が変わった暗号資産だが、その1日の値動きを見ると、前日比±5%は当たり前で、±30%もざらにある。
一方の通貨(既存通貨)は、決済手段として利用されているのが大半であり、資産(商品)としての利用価値は、金利裁定や経済格差裁定(購買力平価)を捉えたものでしかない。例えば円/ドルでは、有名なプラザ合意があった時ですら1年かけて約6割の変動に過ぎなかった。
したがって、たった1日で3割以上も上下動する、つまり、日々のボラティリティ(変動幅)が高すぎる暗号資産が一般的な決済手段として機能しないことは明白であるし、利用するには無理があるといえる。
確かに、グローバルな送金や換金(通貨毎)が可能という既存通貨の特徴を持ってはいるが、決済手段としての役割には不十分で、「通貨」の名称は時期尚早であったと言わざるを得ない。
種類の多さ(選択可能性)、マーケット規模の観点から、「資産」としての評価が妥当と見るのが、既存マーケットのプロとしての意見であろう。
暗号資産に「価値」はあるのか
もう少し森の奥に行ってみよう。
暗号資産の「資産」としての価値について考えてみたい。結論から言えば、改ざんや偽造ができない技術への対価という一面は間違いなくある。
さらに加えるとすれば、技術の向上や様々なアイデアによって新しい暗号資産が生み出され、それに対する技術的評価とともに、金融市場・家計市場からの投機資金の流入が暗号資産マーケットの拡大につながり、他のマーケットと同様の規模になるという期待値が新たな価値を生み出している、とも言える。
ただ、「鶏が先か、卵が先か」の議論から脱することはできず、後者は裏付けのある既存資産マーケットと異なり、結果論的な考え方・捉え方であるとしか言えないだろう。
既存の資産マーケットを支える「裏付け」とはなにか?
通常の商品(金や原油など)であれば、実物である原資産が価格の裏付けとなることは論を俟たないが、通貨の場合は、その発行元の中央銀行の存在が裏付けとなる。米ドルであればFRB(連邦準備制度理事会)、ユーロならECB(欧州中央銀行)、円なら日本銀行というわけだ。
それら中央銀行に対する信任(不倒神話の存在)という裏付けがあって初めて「信用」が創造され、貨幣が送金され、決済手段となり得る。その「信用」が裏付けとならない国の通貨の場合は、交換レートの変動によって調整されることとなる(よって、ボラティリティが高い)。
つまり、信用を創造できる中央銀行への中央集権体制が通貨を支えているのであり、この点が、管理者のいない非中央集権型・自立分散型の暗号資産とは相反する(信用を創造できる中央銀行がない通貨は通貨としての信用が乏しく、ある意味、暗号資産のそれに近い)。
しかしながら、暗号資産の源であるブロックチェーン技術の特徴のひとつであるDLT(分散型台帳技術)が、偽造防止あるいは偽造不可能性の根源なのだとすれば、それ自体が「信用」を生み出すことになる。となれば、信用創造の観点で自立分散型と中央集権型が同等の立場となり、矛盾が生じる。
これを「中央集権主義と自立分散主義の激突」と仮定するならば、中央集権型の人間が暗号資産の価値を見出すことは、そもそも難しいのかもしれない。事実、FRBにしてもECBにしても、暗号資産への評価は手厳しいものとなっている。
まだ森の奥は見えない。だが、探りがいはある
この森には、どのような種類の暗号資産が潜んでいるのか? それらはどんな特徴を持っており、さらには、まったく新しい暗号資産が今もまだ生まれているのか?
日本市場だけでも数千以上ある株式では、原資産として企業独自の特徴があり、人間がその指揮命令系統を司っている。それに伴って、取引所のルールやファンダメンタルズ分析に基づいた評価価格、期待値が内包された株価がついている。
数千種類にも及ぶ暗号資産との対比ができるとすれば、中央と分散の概念と同様に、一定の共通点や相違点が今後整理されていくのかもしれない。
暗号資産マーケットと伝統的なマーケットとの間には、明らかに隔たりがある。だが、機能や特色、そして参加者が、徐々にオーバーラップしているのも厳然たる事実だ。暗号資産ホルダーとして有名な米テスラの地位拡大、暗号資産マイニング業者、暗号資産取引所の相次ぐ株式上場が、それを示している。
まだまだひと握りかもしれないが、株式の世界から暗号資産の世界へと足を踏み出そうとする投資家たちに、彼らに馴染みのある考え方や用語を用いて解きほぐすことで、その橋渡しになればと思う。
不思議の国の森はまだまだ深そうだが、少しずつ切り開く。
(2021年8月25日公開記事)